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ビョルン・アンドレセン 日本との新しい関係と彼の物語が残した教訓 [The Most Beautiful Boy In The World 監督インタビュー]

ドキュメンタリー映画「The Most Beautiful Boy In The World 」の制作に携わったクリスティーナ・リンドストロム監督とクリスティアン・ペトリ監督がサンダンスフィルムフェスティバルの会場でリモートインタビューに答えています。この形式のインタビュー動画はもう一つあるのですが、こちらはより重要な内容を含んでいるかなと思い、日本語に訳しました。

 

📍このインタビューでは音声が重なったり、遠のいたり聞き取れない箇所が複数あるため、完全な形ではありません。

 

 

 

 

下線部は聞き手の男性の発言、Lは女性のリンドストロム監督、Pは男性のペトリ監督の発言です。 

 

The Wrap - Brian Welch Interviews Kristina Lindström and Kristian Petri 

 

こんにちは、ブライアン・ウェルクです。ここ、サンダンスフィルムフェスティバル2021のザ・ラップ サンダンススタジオからお送りしています。そして、ドキュメンタリー映画「The Most Beautiful Boy In The World 」のクリスティーナ・リンドストロム監督とクリスティアン・ペトリ監督にお越しいただいています、お二人共、今日はありがとうございます。

 

L,P: こちらこそありがとうございます。

 

この映画はスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンについて、彼が文字通りどのように「世界で一番美しい少年」となったのか、ルキーノ・ビスコンティ監督にそのように称されてということなんですが、お聞きしたいのは、どうしてビョルンの物語を伝えることになったのでしょう?まず彼に会ってからそうなったのか、それとも彼に関してわかったことがあるので本人を探し出したかったのか

 

L: 彼に会ってからです。クリスティアンは以前から彼を知っていて、ある晩、彼と会っているところに私が合流したんです。ビョルンは私の若い時からのアイコンでもありますから覚えていましたよ。でも、この映画を始める前は私は彼には会っていないんです。

それで、私達が話すようになったあの晩、「あの少年は誰?」「あの役を演じたあの少年は何者なの?」「あの子はどうなったの?」と聞いたんです。

そうしたら… まぁ何と、中身の濃い強烈な物語だと理解しました…

そして彼に聞いたんです、私達と一緒にこの役を作り上げてみませんかと。

でも、もちろん彼は少し嫌がっていました。あの映画のことは彼も何十年も言っていますが、私達も彼の人生を壊した映画と言ってきたので、最初は(彼は)複雑な気持ちを持っていたんですけど、私達が何がやりたいのかを説明していくうちに賛同してくれましたね。

 

P: それが5年前です。

 

5年前にまず彼にまた会ってからそれを話し始めたと… お二人は「ミッドサマー」の現場にも立ち会っていますけれど、何かその、凄く非現実的なイメージの彼を見るのは珍しかったというか、かつての美しい顔があのホラー映画で破壊されて… あの、どうでしょう、お聞きしたいのはあるタイミングで彼はカムバックをするでしょうか?或いは演技することに戻りたい、そんなようなことをやりたいと思っているんでしょうか?

 

L: 実は今、彼はフィンランドで撮影しているんですよ。

 

あぁ、それは素晴らしい

 

L: TVのシリーズ物で。それと何か他にも…

 

P: そう、彼はTVのシリーズ物をやってますし、長編映画もいくつかやって、小さい役かもしれないですけれど本当に良い役をやっています。それにデンマークでも撮影してますし、とてもアクティブです。

それから、映画の中でご覧になったと思いますけれど、彼は音楽に力を入れてるので今、曲を二つレコーディングしていて二週間くらいで発売されます。間違いなくアクティブにしていますよ。

 

ビョルンの扱われ方でお二人が最も衝撃を受けたのは何だったのでしょう?ビスコンティ監督の彼に対するものか、メディアの扱い方か、それとも彼を取り巻いていたあの当時の文化なのか?お二人はアイコンとしてのビョルンや当時の話はお若い時に知っているかと思いますが、実際、深く掘り下げていくうちに、この一連の何に驚かれましたか?

 

P: そうですね、ある程度まではまあショックなことがあっても、これは1971年当時の状況だからと自分に言い聞かせましたが… ただ、1971年にカンヌで行われた記者会見でビスコンティ監督が、(ビョルンは)もう美しくないという意味のことを大勢の記者を前にして言いましたよね。

あれは(ビョルンを)何か使い捨ての物のように… あぁ… 実に酷い瞬間でした。

あれは私達がイタリアのテレビ局で発見したアーカイブの一つで、50年間誰も目にしていないはずです。

言うまでもなく、あのキャスティングの時の映像(オーディションの映像)にもそれと同じことを何度も何度も感じます… ええ、傷つきます…

 

L: それと、ビョルン本人もその当時のことが思い出されてきたんですね。

プレミアの頃やあの騒乱の後の何年間か、彼が世の中をふらふら彷徨っているかのような時期、実際、もちろんパーティーもあり、お金持ちのいろいろな人達に招かれたり(聞き手の声と重なって、後は不明)

 

ちょっと驚いたというか、映画序盤のクリップではほとんど彼は喋らないですよね、文字通り、ただ美しくあるためにそこにいて、まさに顔としてアイコンとしてそこにいて、ビスコンティ監督や他の人みんながいろいろな形で彼に代わって話をする。ああいうビデオをまた観て、彼の反応はどうでしたか?或いは、もうあの当時のことを味わうようなものとは関わりたくないのかもしれませんが

 

L: 彼は何回かこの映画を観ていますよ。

ですから、彼はあの別々の場面を別の時代に生き直しているんだと思います…

 

P: 最初は彼は気が進まなかったんですよ。なぜって、人は「ベニスに死す」のことを本人の一生涯に渡って聞き続けているんですから。まあ、控えめに言っても辟易していたわけです。

でも、この撮影が始まり一緒に取り組んでいくうちに、つまり、(彼の中の)その複雑な何層にもなっている下のほうに私達は触れることになる…

でも悪いことばかりじゃないんです、あの映画は自分の人生を壊してしまったとも彼は言いますけれどね。それを掘り下げていくと、(「ベニスに死す」の)撮影は冒険でしたよ。彼は楽しみましたし、まあ、マジックでした、あのひと夏の撮影は…

 

L: それに素晴らしい子供達の教育係りの女性(映画で演じた役者を指しているのか、別の人物なのか?)と、とっても楽しい時を過ごして… 唄ったり遊んだり、いろいろ…


P: そう、他の子供達とみんなで撮影現場で遊んだり、ふざけ合ったりね。

でも、プレミアが始まってビスコンティ監督が「世界で一番美しい少年」と表明した後から、すべてが変わり、悪いほうにいってしまいました。

 

もう本当にうんざりだとなった時にターニングポイントのようなものが彼にはあったんでしょうか?わかりませんけど… あの… 多少放浪し始めたとか、或いはもう戻りたくなくなるとか、何かがその後の彼の人生で…

 

L: あの映画を経験したこと、あの映画の後に彼の身に起こったこと、彼の写真や画像… そういう背負い続けてきた重荷が彼の人生に何年も、大人になってからの人生にもずっと影響を及ぼしてきたと思います。

もともと彼は、十代の頃も今もユーモアのあるとても面白い人で、とても才能があるんです。ピアノを弾き、ギターを弾き、歌も唄います。彼にはたくさんの友達がいたんですが…

彼にとって一番良かった時代はその十代のグループ、友達が周りにいた頃です。その子達は… すべてがあの映画の後、消えてなくなってしまいました… (その後の短い発言は聞き取れず)

 

 

 

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Image: ‘The Most Beautiful Boy In The World’ Juno Films

 


(この映画を観ていて)私が興奮したちょっとした場面の一つに、近年、お二人が彼と一緒にいる所で彼が自分の歌をカラオケで唄っていますよね… その… 何十年経とうとも… あれはまさに素晴らしい偶然の出来事だったんですか?どうしてああいうことになったんでしょう?

 

P: あの… 日本のこともまた、何て言うか複雑だったんですよ。

彼が若い頃に日本に行った時は行くのがとても嫌で、日本ではほとんどの時間怯えていたんです。ホテルの部屋にいて出られない状態になり、ホテルの外には物凄い数の女の子達が嬌声をあげている、ビョルン!ビョルン!ビョルン!と叫び続けている…

だから怖かったんです、彼は…

 

L: それと彼は私達に(当時、日本で収録した数曲を)「聞かないで」と言ってきたんです。「誰も聞けないようにしておいたから」って。(自分で唄った)ポップス数曲のことを「酷いんだ、酷いんだ」と(笑って)。

それから私達と一緒に日本に行っていろいろな人と話していると、その人達が「ああ!もう、彼は完璧に唄ってます!」「もう、本当に完璧な日本語で唄ってますよ!」「あっ!凄く上手!」と言うんです。

そうしたら、ビョルンはその数曲の歌がだんだん好きになってきたんですよ…(声に出して笑う)。

 

P: それとやはり私が重要だと思ったのは… 他の人のことを代わりに話すのは危険なんですが、でも私が感じ取ったことはビョルンは日本での経験を、あの場所を、日本を、言わば取り戻すことを楽しんでいました…

 

L: 別のやり方で。

P: 別のやり方で、成熟した大人として…

あの場所に戻って、そして「今度は私の物語ですよ」とでも言うようにね… 他の誰のものでもなく。

だからこそ、彼は楽しんでいたんです…

 

L: 自覚を持って日本にいるということを。

 

P: そう、ただ連れ回されるのではなく…

 

スポットライトを浴びて注目の的になるというのは今の時代もそうで、メディアでの扱いは多くの場合変わっていません。私達は未だに持て囃し、さまざまな有名人を祭り上げますよね。そして、ルックスや美しさに、他の要素には目を向けず注目してしまいます。私達が、こういうことをどれほど認識しているかという点では大きく変わりましたけれども、今、ビョルンの物語から人々が学べることは何だとお考えですか?

 

L: とても重要な質問ですね。

 

P: 非常に重要な質問だと思います。

ビョルン自身も言っていましたが、子供を映画界に入れるのなら両親が大きな責任を負っていると。彼が言うには、それは致命的なことになり得るからと…

 

L: そうです、危険なことになり得ます。

 

P: ええ、とても危険なことです。

ビョルンは当然、自分自身の経験から話すわけですが… つまり彼には両親がなく、あの部屋にたった一人でいてビスコンティ監督が彼に目を留めた… そして彼を選んだ…

明らかに、そういうことは常に、いろいろな形で起きている。

子供のスターはまた出てくるでしょう。

 

L:  人々が何を学べるかということでは、重要なのは子供がそういう業界に行くのならその子は注意して見てもらうこと。(その子のための)たくさんのルールを設けないといけないですし、周りが気をつけてあげることです。

 

P: ある意味では、そういうことの意識は今はもう少しあると思いますが、それでもまだきっとこういうことは起こるし、再び起こっていると思います。

 

L: 別のプラットフォームで… メディアも含めて。

それから、ビスコンティ監督がそもそもなぜビョルンを選んだのか… 私達が知ったのは、監督はビョルンの中にぜい弱性を見たから…

 

P: 監督はビョルンの目に悲しさを見出して、それが本当に気に入った…

 

L: だから(内と外)二重なんです。そういう儚げな少年だから…

 

P: ただ、ビョルンのことをタジオがすべてとしてはいけないと思うんです。

私達は今、ビョルンの物語を伝えている。少年のビョルン、そして彼の人生… それは本当に豊かで何層にも織りなしていると思います。

多くのことが、あらゆることが彼の人生に起こった… 良いことも悪いことも… その生涯に渡って…

凄い人生ですよ、伝記物より壮大な。

 

L: そして私達にとって大切なことは、この映画の最初から最後までこの少年に焦点をあて続けるということだったんです。

 

今日はいろいろとこの映画やビョルンについてお話しいただき、どうもありがとうございました。

 

              ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

私が初めて「ベニスに死す」を観たのはほんの半年ほど前です。 アッシェンバッハの年齢よりずっと長く生きてからタジオに会いました(^^; 

 

先に投稿した、ビョルン本人のインタビューを訳している過程では、思うように進んでいかない時がありました。その理由は普段はしない翻訳作業というより、私自身の気持ちが内容とシンクロしてちょっと重くなっていたからだと思います。重くなった材料は他にもありました。映画上映直後のレビュー記事を読んで知ったビスコンティ監督の発言に関するものです。

 

でも、その心境から救い出してくれるものもありました。

二つの動画インタビューを見たり、レビュー記事の監督のコメントをいくつか読み、この二人の監督がビョルンの心に徹底的に寄り添っているという印象を受けたからです。

 

このインタビューで明かされている、当時と現代(2018年春 来日)におけるビョルンにとっての日本… 以前、別の記事で読んだ監督のコメント、「彼は日本を本当に楽しんだ」の意味をより理解できた気がします。若き日に植え付けられた日本のイメージを、彼は「上書き」して「更新」したのでしょうか? 今度は紛れもなく自分自身の手によって…

彼の中の日本が綺麗な色に塗り変わったのなら、その色がこの先も褪せることがありませんように… 日本での、恐らくは「思いがけない収穫」は、多分に日本の関係先の方々のビョルンへの接し方もあったのではと推測します。(それを窺わせる監督のコメントが別の記事にありました)

そして、カラオケで自身の曲を唄うビョルン… 想像できませんね( ◠‿◠ )

 

 

ビョルン・アンドレセン 2020年ラジオインタビュー 日本語訳

*** スウェーデン制作のビョルン・アンドレセンドキュメンタリー映画「The Most Beautiful Boy In The World」(2021年1月29日Sundance Film Festival で上映)に関連して収録された、ビョルンのストックホルムでのスウェーデン語のインタビューを昨年秋に2つほど目にし、ごく近しい人に英語に訳してもらいました。

一つはYouTube にあるテレビのトークショー番組、もう一つはポッドキャストにアップされたラジオ番組です。

その英語の資料を私が整理してまとめたものを少し前の2つの記事で上げていますが、更に日本語に訳したものがこちらです。作業には細心の注意を払いましたが、スウェーデン語→英語→日本語と段階を踏んでいるためニュアンスの違いは出るかもしれません。私自身の感じたことも絡めながらまとめています。***

 

 

 
2番目の記事はラジオ番組「Katarina Hahr möter」の Katarina Hahrさんのインタビューに基づいています。下線部はKatarinaさんが発言した部分です。


 📍こちらのインタビューでビョルンは家族を失った時の状況を含め、辛い過去の記憶を率直に明かしています。従って、内容はたいへん胸の痛むものが多いです。

 

Katarina Hahr meets /Sveriges Radio(Podcast 2020年10月2日)

 

10才で母親を失い、15才で「世界一の美少年」と世に表明され、世界的に有名になったビョルン・アンドレセンと「情熱」について語り合う会話の中でお会いします。

 

 

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Photo: Alexander Donka/Sveriges Radio

 

カタリーナ・ハールです

ちょっとこれを(🖋何かをしまうか置くかしている様子)

サングラスはかけたままにしますか?

(収録の)音響に違いは生じないと思うので。

(笑って)… 今のあなたの外見はどんな感じですか?

あぁ… (笑い)。だいたい同じですよ、少し髪が長くなって髭も伸びてますけれど。

今もカールした髪なんですか?

ええ、いくらかは。

でも時々「輪っか」が現れるんです(笑い)。ちょっとメドゥーサの頭みたいに。

 

🖋カタリーナ・ハールさんは後天性視覚障害者です。

🖋メドゥーサ/Medusa  ギリシャ神話の女の怪物

      

            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


「情熱」と聞いて思い浮かぶのは何でしょう?

あぁ…「愛」。それがまず最初に浮かびました。

 

初めてのガールフレンドは覚えてますか?

ええ、17才くらいの時でした、凄く若かった。(女の子との交際は)初めてで、その頃は情熱が何かもわかっていませんでした。

 

子供の頃のことで記憶にあるのは?

自分用の子供椅子に座っていて、窓が見えたのを覚えています。あれは冬だったんでしょう、葉を落とした木の枝が灰色の空に向かって伸びていましたから。

もしかしたらそれは、その当時の私自身の心象風景で… もしかしたら、と言うのは確信はないからです。

… でも、両親の離婚などで起こりうることの予言のようなものだったかもしれません。


お父さんについて何か覚えていますか?

義父のことなら、ええ。と言うのも、私が13才の時までは父親は義父でしたから。

それから、実の父ではないと知りました。

でも、あの頃は義父にあまり会わなかったので私にとってはとても貴重で大切な存在だったんです。


その頃、どういう気持ちでいたか覚えてますか?

ナーバスになっていました… (両親の)離婚で何が起こるのかと。

 

では、家ではあまり楽しくはなかった…

なかったです。頻繁にお酒を飲んで大声が飛び交って…

時々私が(両親の争いの)仲裁に入ろうとしました。

 

お母さんについては何を覚えています?

鬱。

でもそれだけじゃなく、母は私達がまだ就学前にヨーロッパの半分、旅行に連れて行ってくれたんですよ。

(🖋ここでビョルンは「私達」と言っています。私の解釈ですが、彼には母親が同じで父親の違う兄弟姉妹がいる可能性があるかなと思います。)


母は旅行好き、写真撮影が好き、それから詩を書いていました。そしてジャーナリストでもあったんです。

たくさんの才能を持っていました。
 

そのお母さんに、それから何が起きたんですか?

まぁ、母は精一杯やったのではないかと思います。

ある日、私達が学校に行く途中、一緒に路面電車に乗っていた母はストゥーレプラン(ストックホルム中心部の広場)で降りたんです。

それで私達が母に手を振ると、母も私達に手を振って、手を振って、手を振って、手を振って…

そして私には、これが母を見る最後になることがわかっていました。


わかったのはどうして?

母が虚ろな表情で窓の外を見ていたのを見ましたし、絶え間なく喫煙していて私達の言葉掛けにも応えることはありませんでしたから。

 

じゃあ、お母さんは悲しそうな様子で?

ええ。私は絶望的な気持ちになって、大きくなったら母を助けるんだと思っていたのを覚えています。

 

あなた達が手を振ってそこでお母さんと別れた後、何が起こったんですか

母はいなくなりました。どこに行ったのか誰も知りませんでした。

祖母はどこか旅行にでも行ったのだろうと言っていました。

 

その時(母親の失踪後)住んでいた所は?

(母方の)祖父母の所です。

 

オスタマルム(ストックホルム中心部)?

そうです。

 

じゃあ、お祖母様達はお母さんがどこか旅行しているかも知れないと言ったんですか?

まぁ、そうです。でもそれについて誰もあまり話しませんでした。

 

そして、その当時あなたはたったの10才…もの凄く悲しかったことでしょうね…

(息を吐く音)うーん… カタリーナ、それが問題というか…

つまり、私は長い間どういうことが起こりそうか感づいていたので、母親の失踪はショックではなかったんですよ。男性が二人、家に来て母のことを話し始めた時でさえも。

 

二人は警察官?

そうです。警察はその後、母を発見しました。林の中の… 松の木の下で。

何だか恥ずかしいように感じるのは… 私は泣きたかったのに泣けなかった… どうしてかわかりません。まるで麻痺してしまったような感じで…

人が悲しみについて話す時、それを理解しているわけではないんです。本当の悲しみを感じたことが、私には一度もないから…

(ため息の音)だから、何かそういうハンディキャップのようなものが私にはあるような気がするんです…

どういうふうに説明したらいいかわかりませんけれど。

 

この事があってお祖父様お祖母様はどんな様子でした?家の中の雰囲気は?

とても静かでした、それに触れることもなく。

お葬式の日が来てそして終わっても… 何も言いませんでした。

祖父母家族は… 深刻な問題をオープンに話したりする人達ではなかったです。

 

どんな家族でした? 

そうですね… 母がいなくなった後、祖父母が私達の面倒を見なければならなくなって… 祖父はそれをあまり良く思っていなかったと思います。

 

お祖父様お祖母様に愛情を感じていました?

… いいえ… 感じていなかったです。

 

お母さんに愛されていたと感じてました?

(大きく息を吐く音)それは本当にわかりません。その(愛されたと感じた)記憶がないのです。

まず初めに思い浮かぶのはぬくもりとか誠意ではありません。

母は私をある種の貴族というか、そんなような感じに育てたかったと思います。

ある人達は、母は私を深く愛していたと言うのです。

でも私の、母への情熱に対して、応えてもらったことは一度もありませんでした… 少なくとも、私が願っていたであろうやり方では。

人はその情熱の対象になるものを追い求めます。そしてそれが消えて無くなった時、何か代わりとなるものに移って情熱を傾け続けます。その犠牲となる人達にとっては難しい場合もありますけれど…

 

そしてあなたはまだ子供でした…

そうです。

 

お母さんは自殺したのですか?

そうです。

 

… そしてそれ以来、あなたが探し続けていておそらく見つけていないものは…

救うための誰かを探し求めています… 苦難の中にいるかもしれない女性。

そして、自分がどう振る舞うべきとか、どうやったら助けになるのかわからないまま、(そういう相手に)引きつけられるようになってしまう。

ただ、お互い苦しみを抱えていることが共通点です。常に何かを抱えています。

 

「情熱」の意味は「苦しみ」って知ってますよね?

ええ、「キリストの受難」。

 

あなたが10才の時にお母さんが亡くなって、それで義理の父親をお父さんと思っていて… そして13才の時、そうではないと知ることになって… その時何があったんですか?

私の内面でという意味で?


どういうふうに義理のお父さんが本当のお父さんではないと知ったのかと?

あぁ、実はそれは祖父なんですが、少し離れた角部屋に私を連れて行って、大きな家でしたから… そして、「もう知っておいて良いと思うがパール・アンドレセンはお前の本当の父親じゃないよ。彼はお前を養子にしたんだ。」というようなことを言ったんです。

私は「そうなの。」と言って…

祖父はまるで、明日雨になるよ、とでもいうような調子でその話をしました。

 

では、本当のお父さんは誰なんですか?

それが少し前に判明したんです。

 

本当に!?

ええ、DNA鑑定で。何でも98%以上の確実性だということで、画家でありイラストレーターでありアーティストのラッセ・ハルベリと。

彼の線描画が幾つかと絵画が一つ、「レストラン プリンセン」の壁に飾られていますよ。

 

ラッセ・ハルベリが亡くなったのはいつですか?

私が生まれる3、4ヶ月前。1956年です。車を運転中の事故で亡くなりました。


🖋ラッセ・ハルベリ /Lasse Hallberg /Lars Hallberg (1933-1956) 

🖋プリンセン/1897年創業 ストックホルムのレストラン。小説家、詩人、芸術家が集うことで有名。

(🖋ビョルンはここで「私が生まれる3、4ヶ月前に亡くなった」と言っていますが不思議です。それは公表されている彼の生年月日は1955年1月26日で、その時点で Lasse Hallberg は存命だからです。ドキュメンタリー映画の中でもこの事は扱われていると思うのでいずれわかるでしょう。)

 

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Photo: Alexander Donka/Sveriges Radio

 

映画に出ることを望んだのはあなたご自身?それともお祖母様でした?

祖母です。ありとあらゆる種類のオーディションに応募してましたから。

私のデビューはテレビでピアノを弾いた時で、7才か8才でした。

 

それから、ロイ・アンダーソン監督の「スウィデッシュ・ラブ・ストーリー(純愛日記)」 に配役されて… 楽しかったですか?

ええ、撮影は楽しかったですよ。

 

そしてその後、次の役が決まりましたね

ええ、ルキーノ・ビスコンティ監督からストックホルムでのオーディションに来てほしいと電話がありました。

 

それが誰なのか、わかってました?

全然、知りませんでした。最初に思ったのは、もしかしたらポルノ映画のようなものかもしれないと。

 

オーディションはどんな感じでした?

グランドホテル裏のK.K.ハウスに来てくれと言われました。

そこでは私を含め40人ほどの男の子達が動き回っていました。

 

その時、16才?

いいえ、15才になったばかりで。2月だったと思います。

そして、セーターを脱いで下さいと言われて。

 

誰にセーターを脱いで下さいと?

ビスコンティ監督に。脱ぐのはちょっと嫌に思いましたけれど。

 

でも、嫌ですとは言わなかった?

ええ、「嫌です」とはなかなか言えないです、それは今も(笑って)。

 

それはもしかすると、庇護してくれる人があなたには誰もいなかったから?

そうです、誰もいなかったです。でも誰も責めるつもりはありません。

映画業界の人達がするかもしれない事を、祖父母がわかるわけではないですから。


それから「ベニスに死す」のプレミア上映がありました

ええ。イギリスのエリザベス女王に拝謁して。それからアン王女も出席されていました。

 

ロンドンでしたね?

ええ。ダーク・ボガードが物語の主人公のアッシェンバッハ教授でした。私はタジオという、その肉体的な美しさゆえに教授の熱愛の的になる若い男を演じました。

それが印として刻まれて永久に拭い去れないんです。

 

どういうことですか?

人はいつも「ベニスに死す」に戻って… 他の事は重要ではないんですよ。

 

それはあなたに関することで?

そうです。どこにいても関係なく… ロンドン、ローマ、パリ… (仏語で何か話し、くすくすと笑う)。ずっとそうです(くすっと笑う)。

 

利用されたのではなかったかと思いますか?

(息を吐く音)… ええ、そうじゃないかと思います… 当時私に支払われた4,000ドル(米国ドル)より、もう少し高い額を支払われるだけのことはあったと思います。

 

物として扱われたように思いました?

思いました。物として見なされるのがどんなものか私にはわかっています。

それを他の人には味わってほしくないのです。

 

 

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Photo: Katarina Hahr möter / Sveriges Radio Facebook


さて、私達、行ったり来たりしてこの事を話していますけれど、あなたやあなたの人生にそのことが強い影響を与えたのは間違いないでしょう

ええ、そうですね…

 

どういうふうに?

喫煙と飲酒という形で現れました。しかも、そういうものは気持ちをなだめるものでしかないのはわかっています。

正気を保つために飲んでいるんです。

フロイトに関しては何でも好きなように言っていいでしょう、フロイトの概念「Ersatz (代替)」は(私に)関係があるんです。

 

自分を慰めているんですか?

そうです。

 

でも、子供達がいた時はもっと難しかったでしょう?

ええ。「これは新しい人生だ」と思いました。あの時は心境の変化がありました。

新しい命が生まれると自分のことは二の次になります。

だから、私が適切な教育を受けられ家族を扶養できるようにと、たくさんの学校に申し込みました。

それはしばらくの間、まあまあうまくいっていたんです、私と子供達の母親との関係が悪くなり始めるまでは。

家にいるのが耐えられずパブに行くようになりました。凄く未熟で自分勝手でした。

でも、私達の関係が険悪になればなるほど避けるようになりました。

そして、明らかに事態が変わったのはあの子が亡くなった時です。

 

息子さん?

ええ、エルヴィンです。

 

エルヴィンが生まれたのはいつですか?

… 1986年の9月12日。その時、ロビンは2才2ヶ月くらいでした。

あの頃は全てがうまくいっているようでした。子供を二人持つことは素晴らしかった… それぞれ(女の子男の子)一人ずつ。

でも、恥だと思いました…

 

何があったんですか?

(ため息の音)眠ってしまったんです、たぶん2時間半か3時間くらい。そして、次にスザンナの叫び声を聞いて。

あの子がいないんです…… あの子は毛布の下に…  私の横で…

(大きく息を吸う音)私は毛布をはぎ取って、そしてあの子の唇が青くなっているのを見て… 救命処置を行いました。でも無駄でした……

それから救急車が…… 病院はできる限りのことをやってくれたと思います…

(ため息の音)でも医師が出てきた時、その表情からもう手遅れだったんだとわかりました……

 ( 🖋この状況説明の所からビョルンの息遣いが変わり、自身を責める言葉を繰り返す所まで苦しそうに話しています。)


そのあとのことは覚えてますか?

(間があって) わからないです、何か麻痺したようになって… 生ける屍のように。

何と言っていいかわかりませんでした…

あれは明るい日差しの、よく晴れた日でした。

 

その後、(医学的)調査は行われたんですか?

病院は乳幼児突然死症候群(SIDS)と診断しました… それは全く受け入れられませんけれど。

 

どういうことですか?SIDSじゃないと思っているということ?

わかりません… まあ、直感です。

 

あなたの責任だと思っているんですか?

あれは明らかに私の責任です。

ともかくも、私が大人であったなら…… なんてこった、若造のように振る舞ったんです、私は。そうしていたらこんな事は起こらなかった。

 

でもビョルン、お医者さん達がSIDSと診断したんですよ、だからお医者さん達はあなたのせいだなんて考えもしなかった

 … 私がもっと分別を持って行動していたら、こんな事は起こらなかったとしか言えないです。

 

どうやったらこれに何とか対処できるんでしょう?お酒ですか?

… お酒は対処し易くしてくれると思います… たぶん、考えないで済むようになるかもしれません。でも、わかりません。

もしかすると、何も感じられなくなるように飲んでいるのかもしれません。

 

私が今、何に困惑しているかわかります?あのね、あなたのお母さんが椅子に座って、ワインを飲み煙草を吸いながら窓の外を眺めています。お母さんはとても寂しくて悲しい。お母さんは自ら命を絶ち… それから…

私自身もそれに近い状況でした。人間はある一定の事は共鳴から行動しますから。

中断させてすみません。 

 

ええ… で、それから、あなたは息子さんが亡くなったのは自分のせいだと言います。そして、それはお酒を飲んでいたせいと?

そうです。それと子供っぽい自己中心主義と責任感の無さと。

 

それでも、まだ飲んでいますよね?

ええ、でも少なくとも、他の人の前で飲んだり(迷惑をかけたり)はしていないので。

 

でも、自分自身を痛めつけている?

それは別の問題です。

 

つまりそれは、自分にはそれほど価値がないと思っているということですか?

ええ、自分のことをそんなに尊重したことはないです(笑い)。

 

だから、自分を大切にしないんですね?

ええ… まぁ(息を吐いて)、わかりませんけれど、もし外に出て奇跡が起こるのを待っていたら、たぶん。

わかりません。

 

息子さんのこと、どれくらいの頻度で考えますか?

最近、死後の世界のことについて考え始めたんです。

だから、また息子に会うことを確信しています。

 

 

            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

ドキュメンタリー映画で描かれているようですが、当時16才の彼がビスコンティ監督等にゲイのナイトクラブに連れて行かれ、そこで欲望の対象として見られた経験はビョルンも過去に語っていますが、そのことで自身に嫌悪感を抱くようになり、それが人生に多大なる影を落としたということのようです。

 

少し前に投稿したScreendailyの記事(ドキュメンタリー映画の二人の監督のインタビュー)では、ビスコンティ監督がビョルンを全く尊重していなかったことがわかるある出来事も映画で明かされます。ビョルンはこれを知った時、どんな気持ちになったのでしょう…

 

その二人の監督のインタビューで、ビョルンが(若かったので迷惑をかけたかもしれないと気にしていて、自ら日本行きを望んだという)日本に40数年ぶりに訪れて日本を心底楽しんだこと、5年に及ぶ撮影期間を費やしたこの映画が彼にとってカタルシスになったかもしれないことなど、明るい話題もあったのが救いでした。

 

そして旧知の仲のクリスティアン・ペトリ監督によると、ビョルンは現在音楽関係のプロジェクトが進行中で、この春あたりに2曲ほどリリースし、新しいバンドを始める予定だということです(^_^)

 

彼には音楽があって本当によかったなぁと思います。

 

 

 

ビョルン・アンドレセン 2017年TVインタビュー 日本語訳

*** スウェーデン制作のビョルン・アンドレセンドキュメンタリー映画「The Most Beautiful Boy In The World」(2021年1月29日Sundance Film Festival で上映)に関連して収録された、ビョルンのストックホルムでのスウェーデン語のインタビューを昨年秋に2つほど目にし、ごく近しい人に英語に訳してもらいました。

一つはYouTube にあるテレビのトークショー番組、もう一つはポッドキャストにアップされたラジオ番組です。

その英語の資料を私が整理してまとめたものを少し前の2つの記事に上げていますが、更に日本語に訳したものがこちらです。作業には細心の注意を払いましたが、スウェーデン語→英語→日本語と段階を踏んでいるためニュアンスの違いは出るかもしれません。私自身の感じたことも絡めながらまとめています。***

 

 

  

 

1番目の記事はテレビ番組「Malou Efter Tio」のMalou von Siversさんのインタビューに基づいています。下線部はMalouさんが発言した部分です。

 

Malou After Ten /スウェーデンのTV局チャンネル4 (YouTube 2017年11月12日掲載)

 

今週のテーマは、「成功」は「幸福」と同じなのかどうかですが、このテーマについて、今週、さまざまな方々とお話ししてきました。

多くの人が、特に若い人達は映画のメジャーな役を獲得して大きな成功を収めることを夢見ています。ある映画が世界中で上映され、熱狂的な刻印が押されたのは1971年の「ベニスに死す」、そしてその主役の一人を演じたのは若きスウェーデン人少年、ビョルン・アンドレセンでした。

 

 

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🖌映画でタジオがピアノをつま弾くシーンを映した後


1971年から随分経ちましたね?ようこそいらっしゃいました、ビョルン

 

🖌映画の内容について簡単に説明して

 

多くの若い人達が夢見るもの、と先程も言いましたが… あなたが仰るには、数多くの映画のオーディションに応募したのは(母方の)お祖母様だと

そうです、祖母はとても熱心でした。

 

そうなんですか?

動機は知りませんけど… 有名な孫を持ちたかったのかどうか、或いは…

 

もしかしたら、あなたにお祖母様自身の夢を叶えて欲しかったのでは?

うーん、私にはわかりません。

 

お祖母様がいろいろなオーディションに応募することをどう思っていらした?少年時代に夢見たようなこと?

いえ、それほどでも。そこまで私の夢というわけではありませんでした。

ある人が「ビョルン、あなたは夢のような人生を送りましたね」と言ったんです。でもそういう事なら、それは誰か他の人が夢見たということです… 私ではありません。

 

あなたの夢ではなかった?… さあ、番組はある珍しい写真と映像を入手しました。ストックホルムでのオーディションのもので、そこであなたはあの映画の監督と会いましたね。映画の少年を演ずるにふさわしい人物を、監督は実に何ヵ国も訪れて探し回ったのです。しかもそれはただの監督ではなく、ルキーノ・ビスコンティという著名な監督でした。では、これがビョルンがオーディションの時の様子です…

 

🖌タジオのオーディション動画からビョルンの場面を観せて

 

 今、ご覧になっていかがですか?

… 「Sourire!(🖋仏語でスマイル)…そこからそこまで歩いて… 振り向いて、スマイル」

 

どんなことを覚えています?… 居心地が悪そうですけれど

オーディションを受けている時ですか?

 

そうです

セーターを脱いでというような事を… ちょっと変に思いましたけど。

 

ええ、私達(番組制作側)もこれを観るとこの少年に同情してしまいます

あ、そうですか?

 

ええ、そうですよ

ご同情いただきありがとうございます(笑って)。

 

あれは不快に思いました?どうでしょう、覚えてます?

不快ということではないですけれども、何でしょう… 全く予想していなかったことです。

 

オーディションを受けることはお祖母様の希望であなたのではないというのは、本当に?

ええ、私自身は申し込んでいません。

 

それでも、今、観たように監督は完全にあなたに魅了されて、そしてあの役を射止めたのはあなたでした。映画の撮影で覚えていることは?

まあ、おおかたはとても楽しかったですね。

 

あぁ、楽しかったですか?

ええ、私達みんな大勢、忙しく動き回って演技していました。何が起こっているかはよくわかリませんでしたけど。

 

何だか遊んでいるような感じ?

そう、何て言うか、素敵な夏のアルバイトでした!

 

あぁ、そうですか

大雑把に言うと。

 

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お幾つでした?

15才です。

 

15才… その後、映画は大きな注目を集めましたよね。あなたがあれほど有名になったことでどんな影響があったんでしょう?

影響ですか… どれほど影響したかというのはわかりません。

これがどれほど大きかったかという全体の見通しも私には全くありませんでした。ルキーノ・ビスコンティ監督のことも知リませんでしたし。

ヨーロッパフィルムから電話が来て、巨匠ルキーノ・ビスコンティが興味があると。何のことだろうか?… ポルノ映画か何か?と。

それくらい無知でした。

映画制作後は新聞社から何人か取材には来ましたけど、それほど大きな注目はありませんでした。

 

でも、映画のプレミアは大きなイベントでしたでしょう?イギリスの女王が招かれましたし

ええ、そうでしたね。

 

映画の中の男の子はシャイに見えますね

ええ、今もそうです。

 

そうなんですか?

そしてその後、映画が広く知れ渡り映画の人気が爆発しました

初めは何でも楽しかったのが、のちにちょっと手に余るものになっていきました。カンヌ映画祭やそういう…

 

世界一の美少年として知られるように…
🖌ここで彼は、スウェーデンのある小説(題名は聞き取れず)の中に出てくる「天使の唇を持つ少年」のことに触れています。

 

多くの若い人達はこういう事が自分達に起こることを夢見るのですが、あなたの場合は、これがご自身が追求したい事だと考えることもできたんだけれども、そうはならなかった…

ええ、ならなかったです。もし、あれをやりたかったならおそらく続けていましたし、野心も抱いたと思います。

 

そして、世界はあなたにとっていくらでも開いていたでしょう…

たくさんの人がそう言いました。

 

「ベニスに死す」の後、断ったオファーがあるんですか?

うーん、面倒に感じたんだと思います…

 

面倒に?

ええ、もう一つイタリアで映画の撮影があるところでした、「ブラック・デビル」か何かという題名がつくはずだったと思います。

でも、私にはそれほどまでの気持ちがなかったんです。そして、おそらく祖母でさえそこまでの気持ちはなかったと… 少なくともそれは実現しませんでした。

立ち消えた映画の企画はいくつかありました。

 

興味を持てなかったから…

そうだと思います。

 

ところで、あなたはお祖母様の所に住んでいらしたんでしょう?そこで育ったと 

ええ、母が亡くなった後は。

 

ですから、お祖母様はあなたにとって重要な方だったんですね?

そうです。私が成人するまでは中心的な役割りでした。

 

あなたが映画の撮影をした時、お祖母様もベニスに同行されたんですか?

あぁ、そうですよ。映画にも出ていますよ。(O_O)

 

映画に!? では、役が付いたんですか?

ええ。

 

お祖母様は何の役を?

客の一人としてワンシーンに出ています。

 

あなたのお話を聞いていて、もしかしたら、あれはお祖母様の夢ではなかったかという印象を受けるんです、あなたの夢というより

たぶんそうです。私には私の夢がありましたし。

もし、誰かがそういう夢を持っていたとしても、私はそうではありませんでした。

 

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結果として演劇や映画のほうには進まず、あなたが小さい頃からやっていた音楽のほうに

私の夢は音楽でした。

でも、人が一旦しるしを刻まれ、特別な一世一代の役としての注目を浴びると、これは私自身がわかったことですが、それ以外としての自分を確立するのはとてもとても難しい。不可能とは言いませんが。

 

つまり、この事で凄く有名になったので、誰もあなたと音楽についてなど話したくなかったと?

まぁ、昔話ですが1970年代末にこんな事がありました。

作曲家のカール エリック・ヴェリーンの家でのパーティーに出席した時、当然ながらそこにはグランドピアノがありました。

その当時、私はかなり良いピアノの練習を積んでいたのでクラシック曲を弾いたんです。リストのピアノ協奏曲第1番だったと思います。

すると弾き終わった時、女性がフロアーを横切って来てこう言いました。

「まあ、驚いた!」「あなた、(1つでも)できることがあるの?」

思わず、「失礼ですが、僕は1万時間練習してきましたし、ピアノは3才の時から弾いているんです。」

でも、言いませんでした。ただ、呆然と口を開けたまま椅子に座って驚いていました。

(🖋以前から明かしているエピソードです。彼が絶望の淵に追いやられるような、自分がどう見られているのかを強烈に認識する象徴的な出来事だったのではと推測します)

 

その時、何才でした?

そうですね… たぶん21か22。

 

じゃあ、映画から5、6年後ですね… でもあなたは美少年として知れ渡り、そのままそれが定着しました…

それ以上のことはあまりありませんでした。

 

確かにそうでしたね

昔、レナ・ニーマン(金髪のスウェーデン人女優)がラジオの「頭の悪い金髪たち」という番組にゲストで出演していて…

 

あなたも出ていらしたの?

ええ。

(🖋まだ、髪の色が明るい十代の頃でしょうか?この時も出演依頼にノーと言えなかったのでしょうか( ;  ; ))

 

なるほど… つまり、あなたとレナ・ニーマンは「頭の悪い金髪たち」だと。その時何を話したんですか?

かなり前なので覚えていませんが… でも、そういうテーマを持ってくること自体が恥と言うか。

 

本当にその通りですね

 

「ベニスに死す」のテーマは年配の男が年若い少年に非常に惹かれていくというものです。

どういう映画か理解していました?

いいえ、全く理解していませんでした。

 

ただ(演技だけして)いたと

ええ。

 

どういう映画なのか、観てわかった時は恥ずかしかったですか?

そうでもなかったです。オーディションの日、小説本をもらい、それを読んだと思います。

ただ、まだ15才だったので…

 

この映画の持つパワーとかイメージはわからなかったでしょうね…

わからなかったです。

 

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まぁ、でもあの時代たくさんの女の子があなたに興味を持ったでしょう…
ええ、でもそれは社会生活上困難にもなりました…

 

そうなんですか?

ええ、女の子達とどうイチャイチャしたらいいのか全然わからないのに、女の子達がいつもそこにいて、そしてそれが恥ずかしくなってきて。

 

でも、女の子達のほうから来てくれたら好都合ではなかったですか?シャイな少年のあなたが探しに行かなくていいですし、彼女達が来てくれるから…

ええ、彼女達が来ましたね、あの当時… でも何て言えば…

 

この映画が無ければ人生は違うものになっていたと思いますか?別の選択をしていたでしょうか?

ええ、していたと思います。

 

何をやっていたと思いますか?もっと音楽をやっていました?

ええ、そっとしておいてもらえてたらと言うか、わかりませんけれど、もしかしたらコンサートピアニストになっていたかもしれません。

 

この事(映画)が障害物になったようですね?

ええ、大変な騒動になっていましたから。

それに、自分自身に大きな自信を抱いたことは一度もないんです。

人に言われたようにやる聞き分けの良い子供でした。

 

ええ、オーディションの様子からも何となくわかりますよ…

そう、ちょっと困惑している表情を見たでしょう?

私はね、「いや違う、こっちがしたい」と言うようなタイプではないんですよ。

いわゆる「人に気に入られたい」というような。

 

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ごく最近、「Jordskott 」(スウェーデンのTVの探偵シリーズ) で演じていますね。でもすぐ殺されてしまって(笑って)…

そうですね… (笑って)

 

第一話の後、いなくなりました。紳士の役?

ええ、小さな役でした。

 

では、音楽のほうはどうでしょう… 音楽教師もされ、いろいろな活動をされてきた中で、今も演奏活動をしていらっしゃいますね…

ええ、まぁ、でも指の病気を発症して今は少し減らしています。

そのせいで演奏のレパートリーが限られてしまっているので。

でも、はい、まだ演奏はしていますよ。

 

つまり、ピアノの演奏には本当に柔らかい指の動きが必要と…

そうです、ラフマニノフを弾くのなら凄く敏速な動きが必要です。

 

さて、「成功」は 「幸福」と同じですか?(番組の今週のテーマ)

違います。

 

違います?断言するんですね

ええ、もし、私がした事が「成功」かどうかなら違います。

私が、私の力で自分自身の原動力をもってして何かを成すのなら、それならその成功は幸福というものでしょう。

 

でもこれはあなたの(原動力)じゃなく… ドキュメンタリー映画を今、制作中ですが…

ええ、この単純な人物について…

 

(笑って)… ではこれも疑いの目で?

いえ、疑ってはいません。クリスティアン(映画の監督の一人)と私はもう随分昔から知っている仲で、だからその彼が提案してきた時、どうしたらいいですか?断るんですか?

いや、クリスティアンと仕事するのはとても楽しいです。

ただ、戸惑いはあります。

(🖋この映画の二人の監督に取材した記事をとても興味深く読んだので、前の記事にあげています。旧知の仲のクリスティアンでも相当な時間をかけて彼の心を解きほぐし、制作にこぎつけたことが窺われます(^^;)

 

この事(「ベニスに死す」に関連するもの)についてこういう強い関心が向くことを理解できないようですね

ええ、こういう注目に戸惑っています。

なぜこうなっているのか理解できません。

 

この番組も同じ理由であなたをお招きしましたけれども… いらして下さって嬉しいです

この事については私達(番組制作側)、いろいろな思いがありましたから… そしてこの時に「自分自身が原動力ではなかった」この少年についても、です…

ええ、一つ思い出したんですが、6才だった娘のロビンが道端で突然止まって、「パパ、大きくなったら何になりたい?」と言ったんです。凄く真剣な様子でね。そして、これがとても関係する質問だと思います… だから、私は「遅咲きの花」として売り出せたら(微笑んで)。

 

(微笑んで)そうですね、そしてうまくいきますように

ありがとうございます。

 

お越しいただいてありがとうございました

 

 

Interview with the directors of the documentary film ‘The Most Beautiful Boy In The World’

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JUNO FILMS



Yesterday, I found an interesting article about the documentary film directors' interview ... and sadly learned from Kristian Petri's comment that Luchino Visconti was disrespectful to Björn at that time.

Source : Jeremy Kay for Screendaily / 28 Jan.2021
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Why directing Sundance entry ‘The Most Beautiful Boy In The World’ was like ‘peeling an onion’

BY 28 JANUARY 2021
 

It took Swedish filmmakers Kristina Lindström and Kristian Petri years to get Björn Andrésen, the former child star of Luchino Visconti’s 1971 classic Death In Venice, to tell them his life story in Sundance selection The Most Beautiful Boy In The World.

After growing up in Denmark, Andrésen’s mother died when he was 11 and he went to live with his grandmother in Sweden. Plucked from obscurity in a Stockholm casting call aged 15, he was thrust into the spotlight, recording songs and inspiring manga comic books in Japan, and drifting among sugar daddies in Paris. Eventually it all became too much.

As the film progresses Lindström and Petri reveal how Andrésen, an actor (whose credits include Midsommar) and musician now in his 60s in Sweden in a loving on-off relationship with his girlfriend, also carries scars from a deeply tragic family history.

Stina Gardell’s Stockholm-based Mantaray Film produced the film. Juno Films holds North American rights and Films Boutique handles international sales. The World Cinema Documentary selection premieres on January 29 at 12pm PT.

When did you start researching The Most Beautiful Boy In The World?

Kristina Lindström: Kristian had been working with Bjorn [on a children’s TV series] so I got to meet Bjorn seven years ago. I started to ask about his life story. Many people in Sweden knew him as an iconic boy, but what happened?… We told him we wanted to tell his story about his life. The grandmother, missing father, the things that happened in his life. He is a very good actor and he was neglected.

Kristian Petri: He was reluctant because a lot of people in Sweden ask him how does it feel to be the most beautiful boy and he was fed up with it. So a lot a lot of the work at the beginning was to create trust. We met 30 or 40 times before we decided to make a film. We’d be talking and then he’d open another door and another door… His mother left tapes and poems… messages from beyond the grave. There was so much archive material and a lot of material around Death In Venice.

He views himself as something of a failure. He had dreams about being a musician… It was our ambition to make a very cinematic film and a piece of art in itself. He was very happy about wanting to take part in that.

When did you start to talk about Death In Venice?

KP: That took maybe three years… He had this huge feeling of being exploited once by a filmmaker [Visconti] and we didn’t want it to happen one more time, even if our goal was different. We wanted him to feel his story counted… We kept talking about Death In Venicethroughout the process and we got different answers… It started off as, “The film that destroyed my life,” but after a while [it became], “Well maybe it’s not that simple – of course, I got things out of it, too.”

You found footage from the Cannes press conference in 1971 shortly after the world premiere in London. Visconti is teasing Andrésen, who doesn’t speak French and doesn’t understand what the press corps are laughing about. It was brutal. 

KP: I was in shock when I saw it the first time. We found the material in an archive in Rome… He’s saying [Andrésen] is not beautiful anymore. He just crowned him and [then] he takes away everything.

You took him back to the Grand Hotel des Bains on the Lido where Death In Veniceshot, to affectionate reunions with producers and artists in Japan, to Paris with his girlfriend. What was it like watching him in his old haunts?

KP: He was walking around the deserted ruin of this amazing hotel… It was like a strange, beautiful metaphor of the whole film project.

KL: He really enjoyed Japan, to be there and to be adult.

You introduce tragic family stories quite late in the film – the demise of his young, bohemian mother, the father he never knew, and his mixed fortunes as a parent himself. Why?

KP: Filming him these five years, there were layers, like peeling an onion, and we hope it has the same effect on the audience. So we wanted to introduce quite late some characters like the mother, the daughter, and the son. That was our experience.

Andrésen’s father died young and you used DNA testing to find out who he was. You also learned a lot about his mother, How did you decide what to leave out?

KL: His mother was travelling a lot to Paris and living in hotels among photographers and poets…. There were so many roads to go.

KP: Bjorn has never met his father – he died so early – so he never missed him… It was more curiosity and then it wasn’t super important for him.

Has this film been a cathartic experience for him?

KL: I think so. It’s hard to speculate… Obviously, he has been taking steps in his life, with his [adult] daughter, meeting his ex-wife…

KP: And he’s doing a music project now, releasing two songs in a couple of months, starting a new band… It’s not like he’s a gloomy character. He’s a fun person. Very smart and funny.

 

Björn Andrésen 2020 Radio Interview - English Translation

*** In relation to the Swedish documentary film 'The Most Beautiful Boy In The World', to be released at the Sundance Film Festival on Jan.29 2021, Björn had a couple of interviews in Swedish media in recent years.

I had somebody close to myself translate them to English last month and I have organized the content and put it into two posts. ***

  

 


The second post is based on the radio program 'Katarina Hahr möter' interviewed by Katarina Hahr and the underlined comments are hers.


📍In this interview, he talks quite openly about very painful memories, including the loss of his family members.

 

'Katarina Hahr Meets' (Podcast Oct. 2, 2020 Sveriges Radio)

 

To be 10 years old and lose his mother, to be 15 years old and become world famous and declared "The Most Beautiful Boy In The World " ー meet Björn Andrésen in a conversation about 'passion'.

 

 

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Photo: Alexander Donka/Sveriges Radio

 

My name is Katarina Hahr

I'm just going to put (🖋cannot catch the rest)

Would you keep your sunglasses on ?
I don't think it makes any acoustic difference.

(Laughing)What do you look like now ?

Well… (laughs). Approximately the same, just longer hair and longer beard.

Do you still have curly hair ?

Yes, sort of, but with 'rings' (laughs) that sometimes appear(laughs)

A bit like Medusa's head.

 

🖋Katarina Hahr is an acquired visually impaired.

 

 

            ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


What comes to your mind when I say 'passion' ?

Ohー'love'. That is the first thing that comes to mind.

 

Do you remember your first girlfriend ?

I was about 17, so very young ー I was a beginner, and I did not really know what passion was in those days.

 

What memories do you have from when you were a child ?

I remember a window, sitting in my child chair.
It must have been winter because I remember I saw tree branches without leaves, stretching up towards a grey sky.

Perhaps it is an illustration of the feelings I had at that time, and I say perhaps because I am not sure…

But it may have been a kind of prophecy of what was going to happen with my parents' divorce and so on.


Do you remember your father at all ?

My stepfather, yes. Because he was the one who was my father until I was 13.
Then I got to know that he was not my real father.

But at that time he was very valuable to me because I did not see him much.

 

Do you remember how you felt at that time ?

I was nervousーas to what was going to happen with the divorce.

 

So it was not a nice time at home…
No. There was quite a lot of alcohol and loud voices.

I sometimes tried to mediate.

 

What do you remember about your mother ?

Depression.

But not only that. She took us around half of Europe before we even started school.

(🖋Björn said 'us' here and I interpreted that he was with his sibling, possibly same mother but different father.)

 

She enjoyed traveling and photography, and she wrote poems. She was a journalist too. So she had quite a few talents.

 

But what happened to your mother then ?

Well, I guess she tried as well as she could.

One day she went together with us on the tram on the way to school.

And she got off at Stureplan(a public square in central Stockholm) and we waved to her, and she waved, and waved, and waved, and waved…

Then I knew that this was the last time I would see her.

 

How did you know that ?
Because I saw she was looking out the window with an empty expression in her eyes, and was chain smoking and did not reply when we talked to her.

 

So she looked unhappy ?

Yes. And I remember I was desperate and thinking that when I grow up I am going to save my mother.

 

After you waved goodbye to your mother there, what happened after that ?

She disappeared. Nobody knew where she was. 

My grandmother said that she had probably gone on a trip somewhere.

 

Where did you live at that time(after his mother disappeared) ?
At that time we lived with my (maternal)grandparents.


At Östermalm(central Stockholm) ?

Yes.

 

So they said she might have travelled somewhere ?
Well, yes, but nobody really talked much about it.

And you were only 10 years old at that time …You must have been so sad…

(Exhaled hard)Well, Katarina, that is kind of a problem.
Because I had such long notice about what might happen, her disappearance did not come as a shock. Even when a couple men came to our house and started talking about her.

 

They were police men ?
Yes. They had then found her in a forest…under a pine tree.

I feel kind of embarrassed ーI wanted to cry but could not…I don't know why.
It was like I was paralyzed.

When people talk about sorrow I don't really understand it because I have never felt real sorrow.

(Exhales)So I feel like I have a sort of handicap. I don't know how to describe it.

 
What about your grandparents after this happened ? How was the atmosphere at home then ?

It was very quiet, no mention of it. The funeral came and went ーand no comments.

It was not how they behaved in the familyーtalk openly about any serious problem.

 

What kind of family was it ?

Well…after my mother disappeared we had kind of been forced upon them…and I don't think my grandfather was very happy about that.

 

Did you feel that you loved them ?

… No… I don't think so.

 

Were you loved by your mother ?
(He paused) I really don't know. I don't remember that I was.

The first thing I think of is not warmth and sincerity. 
I think she wanted to raise me as some kind of aristocrat, something like that. 

Some said my mother adored me.  But my passion for my mother was never answered ー at least not in the way I may have wished. 

And you pursue the purpose of your passion, and when that disappears you switch and continue your passion towards some replacements ー which can be difficult for the victims. 

 

And you were just a child.

Yes.

 

Did she commit suicide ?

Yes.

 

And since then you have been looking for what you perhaps never got...

Looking for someone to save. Women that may have a difficult life.

And without knowing how you yourself should behave or know how to be help of...

You become some kind of magnet... but at least you have the suffering in common.

There is always something.

 

You know that the meaning of 'passion' is 'suffering' ?
Yes. 'The passion of Christ' 

 

Since your mother passed away when you were 10, and you thought your stepfather was your father ーand when you are 13 you get to know that this is not the caseーwhat happens then ?

Inside me you mean ?

 

How did you learn that your stepfather was not your real father ?

Well, it was actually my grandfather took me aside to a corner room, because it was a big houseーhe said something like 'l think it is time that you get to know that Per Andrésen is not your real father. He has adopted you.' 

'I see' I said ー Just as if he had said it is going to rain tomorrow.

 

And who is your real father ?

That I found out not long ago.


Really !?(surprised voice)

Yes. DNA test.
With something like more than 98% certainty it is the painter, illustrator and artist Lasse Hallbergー whose drawings and one painting hang on the walls of Restaurant Prinsen.

 

When did Lasse Hallberg pass away ?

He died 3-4 months before I was born. 1956. He died in a car crash(driving himself).

 

🖋Lasse Hallberg/Lars Hallberg (1933-1956)
(🖋His comment 'he died 3-4 months before I was born' doesn't make sense to me because as far as I know Björn was born on Jan.26.1955 and Lasse Hallberg was alive that time. I suppose that the documentary film will also reveal something about it.)

 

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Photo: Alexander Donka/Sveriges Radio 

 

Was it you or your grandmother who wanted to have you play in a movie ?

My grandmother. She applied for all sorts of auditions for me. I debuted on TV, playing the piano, when I was 7 or 8.

 

Then when you got a role in 'Swedish Love Story' by Roy Andersson, did you enjoy it ? 

Yes, the shooting I enjoyed.

 

And then later you got the next role
Yes, Luchino Visconti called and asked me to come and audition in Stockholm.

Did you know who that was ?
No idea. My first thought was if this was some kind of porn movie.

 

How was the audition ?

We were asked to come to the K.K. House behind the Grand Hotel.

There were about 40 boys of us running around.

 

At that time you were 16 ?

No, I had just turned 15 at that time, I think it was February. 

And I was asked to take my sweater off.

 

Who asked you to take your sweater off ?
Visconti. I felt rather uncomfortable doing that.

 

But you did not say no ?

No, I have difficulties saying no, even now(chuckles).

 

And maybe because you didn't have anyone to protect you ? 
No, I didn't. Although I don't blame anyone for that.

My grandparents couldn't really know what they may do in the movie business.

 

And then the movie premiered ー'Death in Venice'

Yes. In the presence of Queen Elizabeth of England. And Princess Anne was there.

 

It was held in London ?
Yes. And Dirk Bogarde had the main role as Professor Aschenbach in the story.

And I played Tadzio, the young man who became the focus of his adoration because of his physical beauty. 

It is a mark that will never go away. 

 

What do you mean ?
Well, one always comes back to 'Death in Venice'ーnothing else matters.

 

You mean in regard to you ?
Yes. It doesn't matter wherever you areーLondon, Rome, Paris,...(speaks French and chuckles?). 
It never ends(chuckles).

 

Would you say that you have been exploited?
(Exhales)… Yes… I would say so.

I feel that I deserved a bit more than the US$4,000 I was paid.

 

Did you feel like you were an object ?

Yes, I did. I know how it feels to be objectified, which I don't wish for anyone.

 

 

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Photo: Katarina Hahr möter / Sveriges Radio Facebook



Now that we are talking about this back and forth, it must have made a big impact on you and your life

Yes, it has.

 

In what way ?

In the form of smoking cigarettes and drinking alcohol.

And I know that those things are pacifiers.

I am drinking to keep sane. You can say whatever you like about Freud but his concept 'Ersatz' is relevant.

 

You are comforting yourself ?

Yes.


But it must have been even more difficult when you had children ?

Yes. I thought, 'this is a new life'. At that time I went through a change of heart.
When a new life was born you became a second priority.
So I applied to many schools so that I could get a proper education to provide for my family.

That worked reasonably well, for a while, until the relations between me and my children's mother started to deteriorate.

I could not bear to stay at home and started to go out to pubsーvery immature and selfish, but the darker the relations became between us the more alienated I became. And what really changed things was when the boy died. 

 

Your son ?

Yes, Elvin.

 

When was Elvin born ?

…September 12,1986. At that time Robine was around 2 years and 2 months old.

At that time everything seemed fall into place. It was wonderful to have two childrenーone of each.

But I felt ashamed…

 

What happened ?
(Sigh) I fell asleepーmaybe for 2.5 or 3 hours. And the next thing I hear is Suzanna's scream.

He is not thereーhe is under the blanket, next to me.
(Breathes in deeply) 
I pull away the blanket and see that his lips are blue.

I tried to revive him, but in vain.

(Exhales) Then the ambulance, and I guess they did everything they could.

(Sigh) But when the doctor came out I could see on his expression that there was nothing that could be done…… 

 

What do you remember after that ?

(He paused) I don't know, I became kind of paralyzed, like a living dead.

Didn't know what to say.

It was a bright sunny day....

 

Was there any (medical)investigation afterwards ?

They diagnosed it as sudden infant death syndrome (SIDS); which I don't buy at all.

 

What do you mean ? You are saying that you don't think it was SIDS ?

I don't know; it's just my gut feeling.

Do you think it was your fault ?

It was clearly my fault.

If I had somehow, if I had been an adult and… darn, I behaved like a youngster.

Then this would not have happened.

 

But Björn, they diagnosed it as SIDS, and therefore the doctors cannot have thought that it was your fault.
… I can only say that it would not have happened if I had behaved more maturely.

 

How can you manage to cope with this, alcohol ?

… I assume that it makes it easier, maybe it helps to push it away; but I don't know.

And perhaps I drink to be able to feel anything at all.

 

Do you know what I find puzzling ?

You see, your mother sitting drinking wine and smoking, looking out the window. She is very sad and unhappy. She takes her own lifeーthen...

I was not so far away from that myself. Certain things you do out of sympathy.
Sorry, I interrupted.

 

Yes,… and then you say that it was your fault that your son died. And you say that this was because of alcohol ?

Yes, and childish self-centeredness and irresponsibility.


But you still continue drinking ?

Yes, but at least I don't expose anyone else to that.


But are you harming yourself ?

That's a different matter.


But does that mean you think that you are not worth so much ?

No, I never thought much of myself(laughs).


So you don't care about yourself ?

No… well(sigh), I don't know if I am walking around waiting for a miracle to happen, perhaps. I don't know. 


How often do you think about your boy ?

Recently I have started thinking about life after death, and I am convinced that I will see him again.

 

   

Björn Andrésen 2017 TV Interview - English Translation

 *** In relation to the Swedish documentary film 'The Most Beautiful Boy In The World', to be released at the Sundance Film Festival on Jan.29 2021, Björn had a couple of interviews in Swedish media in recent years.

I had somebody close to myself translate them to English last month, so I have organized the content and put it into two posts. ***

 




The first post is based on the TV talkshow 'Malou Efter Tio' interviewed by Malou von Sivers and the underlined comments are hers.

 

Malou After Ten (Sweden's TV4 Channel / uploaded on YouTube Nov.17 2017)

 

This week's theme is whether 'Success' is the same as 'Happiness'?ーand I have spoken to various people during this week about this topic.

Many people dream about a major movie role, especially many young people hoping to get a big breakthrough. One movie that was shown all over the world and obtained a 'cult stamp' was 'Death in Venice' in 1971, and one person that played one of the main roles was a young Swedish boy, Björn Andrésen.



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🖌Showed the movie clip

 

It is quite a few years since 1971, isn't it ? Welcome Björn.

 

🖌Briefly introduced what the movie is about 


This is as I said, something that many young people dream about. You told me that it 
was your (maternal)grandmother that applied for auditions for you for many movie roles

Yes, she was very ambitious.

 

Yeah…?
I don't know what her motive was... whether she wanted to have a famous grandchild or...

 

Perhaps she wanted you to make her dream come true?
Well, what do I know?

 

What did you think then when she applied these various auditions ? Something that you dreamed about as a boy ?
No, not much. It was really not my dream. Somebody said that 'Bjorn, you have lived this dream' ー but in that case it was somebody else's dream; it was not mine. 

 

It was not your dream ?ーI have gotten hold of some unique pictures and film clips, from an audition in Stockholm where you met the film director who actually looked around in several countries to find the right person to play the boy in the movie. This was not just any film directorーit was a famous director called Luchino Visconti. So this is what it looked like when Bjorn was auditioning.

🖌Showed a film clip of his audition for Tadzio

 

What do you think when you see that ?
… 'Sourire !('smile' in French)… walk from there to there; you turn around and you smile' …

 

What do you remember ?ーYou don't look comfortable.

You mean doing this audition ?

 

Yes

Taking the sweater off and so on… I thought that was a bit strange.

 

Yes, we feel sympathy with the young boy when we watch you.

Ah, you do ?

 

Yes

Thank you for the sympathy.(laughing)

 

Do you remember that it was uncomfortable or… ?
Not directly uncomfortable, but… what do you say… more than I bargened for.

It 
was your grandmother and not you who wanted to do this, really ?

Yes, I had not sign up for this myself.

 

But he became completely captivated by you, Visconti, and you were the one who got the role, as we saw. What do you remember from shooting the movie ?

Well, that is was mostly a lot of fun.  

So that was fun ?

Yes.ーWe were a bunch of people who ran around acting.

I didn't really understand what was going on.

 

It sounds like that was almost like a play ?

Yes, you know, it was a nice summer job !

 

Yeah, right.

Roughly speaking.

 

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How old were you ?
15.

15. And subsequently the movie got a lot of publicity.ーHow did that affect you ?ーthat you became so famous ?

Well…affected?ーI don't know how much it affected me…

I did not really have any perspective on how big this was.
I did not know who Luchino Visconti was.

They called me from Europa Film and said that the great Luchino Visconti was interested. And I was wondering, what is this ?… Is this a porn movie or what ?

That's how ignorant I was.

Then they made the movie, and then some people came from the newspapers to interview me, but there was not so much publicity. 

 

But the movie premiere was a big event, wasn't it ?ーWith the British queen invited, and so on…
Yes, that's right.

The boy in the movie looks rather shy…
Yes, and he still is…

 

He still is?

And thereafter the publicity and popularity of the movie exploded.

Yes, that's right. And like everything it was fun in the beginning, but later it became a bit too much… The Cannes Festival, and so on…

 

You became known as the most beautiful boy in the world…

🖌He referred to some Swedish novel(couldn't catch the title) in which a 'boy with angel lips' is mentioned.


A lot of young people dream about something like this happening to them, and you could have thought that this was something that you wanted to pursue ーbut that didn't happen …
No, it didn't. If I had wanted to do that, I would probably have continued ーand had my  own ambition.

 

And then the world would have been open to you in many ways…
Many people have said so.

 

Did you get any offers that you declined ?

I think I was too lazy…

 

Lazy ?
Yesーthere was another movie that was going to be shot in Italy, which I think was going to be called 'Black Devil' or somethingーbut I just did not have the ambition…and maybe even my grandmother did not have such an ambitionーat least that did not happen.

There were several projects that did not happen…

 

Because you were not interested… 
Yes, I think so.


You lived at your grandmother's place, didn't you ? That's where you grew up.

Yes, after my mother passed away.

 

So your grandmother was an important person then, wasn't she ?

Yes, she wasーshe was the main person until I became an adult.

 

Did she come with you to Venice when you played in the movie?
Oh yes, she is also in the movie.

 

She is in the movie !? So did she get a role in the end then?
Yes.

 

What did your grandmother play?
She played one of the guests in one scene of the movie. 

We get an impression when you tell your story that perhaps that was your grandmother's dream ーmore than your dream.
Yes, probably. I had my own.

If it were somebody's dream, it wasn't my dream.

 

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You didn't end up pursuing theater and movies but rather music, which you had been occupied with since you were a young boy.

My dream was music. But once you have been marked and received attention in a particular lifetime role, then it is, as I understand it, very very difficult to establish yourself as something elseーnot to say impossible.

 

You mean because you became so famous due to this, nobody wanted to talk to you about music or …?

Well…I have a story from the end of the 1970s, when I was at a party at the house of Karl-Erik Welin, the composer ーand naturally he had a grand piano there.

And at that time I was pretty well rehearsed on the piano.

So I played a classical pieceー1st movement of Liszt's Piano Concerto, I think.

And when I finished, a lady came over to me across the floor and saidー

'That was amazing! Are you able to do anything(at all)?'

I felt like sayingー'Excuse me, I have practiced for 10,000 hours and have been playing piano since I was three years old'ーbut I did not.

I just sat there astonished, with open mouth…

 

How old were you then ?
Let me see… maybe 21, 22.

 

So 5-6 years after the movie. But you became known as the beautiful boyーand that's how it stayed…
Yes, not much more than that.

 

Yes, exactly  

Lena Nyman (blond Swedish actress) was once invited to a radio show with theme 'Stupid Blondes' …

 

Were you there too ?
Yes.

 

I seeーso you and Lena Nyman were the 'Stupid Blondes'. What did you say at that time ?

It's so long ago that I don't remember ーbut just having a theme like that is kind of embarrassing.

 

Exactly.
The theme of the movie is the older man who becomes very attracted to the young boy. 
Did you understand what kind of movie it was ?

No, I had no idea what kind of movie it was.

 

You were just there(to act)… 
Yes.

 

Were you embarrassed when you saw what kind of movie it was ?

No, not really…They gave me the book at the same time as I auditioned, and I think I read it.

But I was only 15 years old so…

 

You did not understand the power of the movie, I guess …and its image
No.

 

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But one would think that a lot of girls must have become interested in you around that time… 

Yes, that also became a social handicap…

Really ?

Yes, because I had never learnt how to flirt with girls ーthey were just there, and then it became embarrassing.

 

But wasn't it convenient that the girls came to you, a shy boy ーyou did not have to go out and look for girls, they would come to you …
Yes, they did, at that time ー but what can I say…


Do you think your life would have been different without this movie? Would you have made other choices ?

Yes, I think so.

 

What do you think you would have done then ? You would have done more with music ?

Yes, if I had been left alone, so to speakーI don't know, but perhaps I would have become a concert pianist.

 

It seems that this became an obstacle for you ?
Yes, there was a lot of commotionーand I have never been very self-confident.

I was well brought up boy who did what people told me to do.

 

Yeah, we can kind of see that during your audition too…
Yes, you saw that slightly confused lookーyou know, I am not the type who would say ' no, I want to do this'. 'I'm eager to please', as they say.

 

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Quite recently you played in 'Jordskott'(a Swedish TV detective series). But they killed you quite early on (laughing)…

Yes, they did…(laughing)

 

You disappeared after the first episode. Gentlemen ?

Yes, it was a minor role.

 

But how about music then…You have been a music teacher, among other things, and you are still performing…

Well, yes, but I am a bit reduced now, as I have developed some finger illnessーwhich limits the repertoire that I can play.

But yes, I am still playing.

 

You mean that when you play the piano you really need to…have soft fingers…

Yes, if you are going to play Rachmaninov you need much agility.

 

So, then, is 'success' the same as 'happiness' ? (This week's theme in this show)

No.


So you say 'no' ? You sound quite sure 

Yes. If what I did is 'success', then 'no'. 

If you do something by your own power, where you yourself are the motorーthen probably it is happiness.

 
But this was not your thing…They are making a documentary now…

Yes, about my simple person…

(Laughing)…Are you kind of doubtfull about this too ?

No, not doubtfull. Kristian (one of the producers of the film) and I know each other since way back in time, so when he suggested it… what could I say ? 'No'?

No, it is a lot of fun to work with Kristian.

I am just puzzled.

It seems that you cannot understand that there is such strong interest in this.
No,ーI am puzzled by all this attention. I don't understand why this has come about.

 
And here we have invited you about the same thing…

But I am happy that you came, because we have many thoughts about thisーabout this boy 'who was not his own motor in this'…

No, it reminds me of an episode with my 6-year old daughter Robine who suddenly stopped on the street and said ー'Papa, what do you want to be when you grow up ?' She was quite serious. And I think it is a very relevant question …So I hope I can sell myself as a late bloomer(smiling).

 

(Smiling)Yes, and good luck with that.

Thank you.

 

Thank you for coming